70代男性:岩手県盛岡市在住
JR大船渡線開業100周年「あなたとつながる大船渡線」 “いだみったわげもの”20歳の雅(まさ)ちゃんへ 高校を卒業して18歳で県職員となった君は小学校の事務職員をしながら大学の通信教育をする「二刀流」の生活を送っていたね。二年後、仕事も順調に覚え大学も一般教養を終え、仕事と関係のある専門の法律を学...
50代女性:一関市在住
今から40年以上も昔のこと。 私は小学生だった。 陸中松川駅から山汽車に乗って、一ノ関へお出かけする事はとても楽しみであった。一ノ関駅までの途中にはトンネルや鉄橋があった。真っ暗なトンネル内に山汽車が、吸い込まれるように入る瞬間は、いつも少しだけ怖かった。鉄橋を渡る時には「川に汽車ごと落っこちたらど...
70代男性:一関市在住
・高校生当時の自分へ あれから55年も経つが、俺は摺沢駅から一ノ関駅まで高校通学の足として国鉄大船渡線を3年間利用した。気仙沼駅始発の朝一番列車で、摺沢駅5時半頃の出発だったなあ。冬はまだ真っ暗の中列車に乗った。気仙沼駅からと思われる行商のおばさん達は、座席に大きな背負い籠を置き、隣に正座していた姿...
70代女性:一関市在住
「さあ、もう起きて!学校に行く時間だよ! 早く家を出ないと汽車に乗り遅れるよ! 弁当も作らなくちゃいけないし、駅に着いたら靴をはきかえて、さあ早く乗りなさいと、声をかけよう…。」 私は陸中松川駅から昭和44年4月から3年間市内の高校に通学として大船渡線を利用しました。 当時「山汽車」と言われていまし...
60代男性:宮城県気仙沼市在住
1970(昭和45)年頃、気仙沼駅にカラフルで長い列車がやって来た。大船渡線に貨物以外で6両編成もの長い列車が走るのは珍しく、当時7歳だった君は興味津々、その様子を飽く事なく駅裏から眺めていたね。 やがて列車は進行方向を変えて今来た線路を戻り出したが、その行き先は魚市場だったのだ。列車は日立電機が自...
60代男性:一関市在住
あなたは日曜堂の9番目として生まれました。5才のころは兄夫婦の子のお世話にいく母につれられ、朝一番の電車で陸中松川駅まで。駅で下りると家業の新聞配達をする新聞を60部くらい受け取り、背負う母。あなたは手をひかれて、当時の狭山トンネルへ出る細い道を一緒に登っていきました。 一ノ関駅発5:50分の電車に...
「折壁停車場は人生の交差点」 昭和48年、6年間勤めた地元の村役場を24歳で退職し、折壁停車場から山汽車に乗って都会の市役所に出発した。改札口には多くの友達や職場の皆さんが見送りに来た。山汽車が発車し遠くなる人影、走りゆくふるさとの風景や霊峰室根山が涙でかすんでしまった。 若き日の自分に問いたい。ど...
私が小学生の頃だったか…あの頃は汽車だった。黒々として煙をモクモクとはき出して力強く走った。顔は真っ黒になり、煙をはき出した黒い汽車は、それでも思い出深い。 家族で高田松原へ海水浴へ行ったのを覚えている。唯一の思い出である。当時は、車なんてない当時の交通手段で徒歩、自転車、汽車、バスだ。それでも一生...
60代女性:一関市在住
私に語りかけて どこの町村の駅も辿ってきているように、真滝駅も以前は駅員さんがいて駅に隣接して職員さんの社宅も建っていた。黒っぽい板張りの社宅が数棟建っていたのを思い出す。 実際にあなたが駅を利用するようになったのは高校からのこと。今はドラゴンレールと言うこじゃれた名前で親しまれているけど、昔は山汽...
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