思い出
JR大船渡線開業100周年「あなたとつながる大船渡線」 “いだみったわげもの”20歳の雅(まさ)ちゃんへ 高校を卒業して18歳で県職員となった君は小学校の事務職員をしながら大学の通信教育をする「二刀流」の生活を送っていたね。二年後、仕事も順調に覚え大学も一般教養を終え、仕事と関係のある専門の法律を学んでいましたね。出張で大船渡に行くことになった。金曜と土曜の二日間だ。大船渡グランドホテルに泊まった。二日間の研修と夜の懇親会があった。翌朝は日曜日だ。疲れを物ともせず早くに大船渡駅に向けてタクシーを急がせた。前の晩に時刻表で確認した始発の大船渡線に飛び乗り、苛立つ自分を抑えながら一関へ向かった。「ゴットン、ゴットン」と、三時間ちょっとの列車の旅は勉強には心地よく感じた。実は年に数回しかない大学の科目試験があったのだ。試験は日曜日に決まっていた。会場は盛岡と一関だが盛岡には到底帰れない。一関が近い。 駅から試験場の一関修紅高校まで“猛ダッシュ”9時から始まる科目試験は、確か憲法と民法総論、それに国際法だったかな?三科目も受験して合格ハガキが届いたときはお母さんと万歳したね。その後、君は大学を卒業して学校の先生になったよ。「教えること」と「自ら学ぶこと」の二刀流で、常に児童・生徒の気持ちを第一に頑張り貫いたよ。 自分に厳しくありたいと、それから50年後、7つ目の大学を卒業して今も勉強は続いているよ! 「学んでよかった。大船渡線・・・想い出をありがとう!!」