なべつる

投稿者

60代男性:宮城県気仙沼市在住

想い出の場所

松川~摺沢に掛けての急勾配。幼少の頃同区間でSLが坂を登れず、松川まで戻った事があった。
松川~摺沢に掛けての急勾配。幼少の頃同区間でSLが坂を登れず、松川まで戻った事があった。での思い出

思い出

1970(昭和45)年頃、気仙沼駅にカラフルで長い列車がやって来た。大船渡線に貨物以外で6両編成もの長い列車が走るのは珍しく、当時7歳だった君は興味津々、その様子を飽く事なく駅裏から眺めていたね。

やがて列車は進行方向を変えて今来た線路を戻り出したが、その行き先は魚市場だったのだ。列車は日立電機が自社製品を宣伝すべく企画したもので、その頃全国各地を巡って公開しており、ようやく気仙沼にも来て貰えたと言う訳だ。 列車の名前は「ポンパ号」。「(スイッチを)ポンと押すと(画面が)パッと点く」との意味で、当時日立の看板商品だった家具調テレビから採られたものだ。それ以前テレビは真空管を使ったものがまだ主流で、スイッチを入れても管が暖まらないと中々点かず、それが僅か1・2秒で点くなど、正に驚異的な事だった。

列車の中には未来の家庭を具現化した見た事もない家電製品が、まばゆいばかりにびっしりと展示されており、地方の少年にとっては、カルチャーショックと言う言葉では表せないくらい強い衝撃だった事は、君のはしゃぎ振りからよく判ったよ。 テレビは直接スイッチに触れず、当時「ズバコン」と言われていたリモコンで、点灯やチャンネル転換出来るのが面白くてならなかったようだね。テレビゲームも、当時地方ではテレビで遊ぶと言う発想がなかっただけに、都会の子供達を羨ましく思った事だろう。 折しも前回大阪万博が開催された年でもあり、「ポンパ号」はそのパビリオンが突然出現した位の驚きと感動を、7歳の君を始め多くの見学者にきっと残してくれたと、それから55年経った今も私は信じている。

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電車のイラスト