思い出
私が小学生の頃だったか…あの頃は汽車だった。黒々として煙をモクモクとはき出して力強く走った。顔は真っ黒になり、煙をはき出した黒い汽車は、それでも思い出深い。
家族で高田松原へ海水浴へ行ったのを覚えている。唯一の思い出である。当時は、車なんてない当時の交通手段で徒歩、自転車、汽車、バスだ。それでも一生に一回の家族での海水浴は思い出深い。大船渡線で千厩から汽車に乗り、荷物を持って高田松原でおりたのだろう。父と母(母は行ったのか???)と荷物(うきわなど)をたくさん持って汽車にのり移動した。その父、母も亡くなり私も74才、おばあさんだ。
母となり息子を海に車で連れて行ったが、なかなか帰ろうとしなかった。ずうっと海に居たかったのだろう。夫は40才で早く亡くなった。病没である。
悲しい出来事だった。子にも大きく影響したが、子には乗り越えてたくましく大きくなってもらいたいと思う。大船渡線は思い出深い。又、ゆっくりと大船渡線に乗り、ゆったりと景色をながめたいと思う。今は電車だが、周りの風景はいつも通り美しい。鉄道は旅情をかき立てる。車のような交通戦争もほとんどない。大船渡線、ばんざい!!ごくろうさま…
そして、ありがとう。これからも宜しく…