思い出
私に語りかけて
どこの町村の駅も辿ってきているように、真滝駅も以前は駅員さんがいて駅に隣接して職員さんの社宅も建っていた。黒っぽい板張りの社宅が数棟建っていたのを思い出す。
実際にあなたが駅を利用するようになったのは高校からのこと。今はドラゴンレールと言うこじゃれた名前で親しまれているけど、昔は山汽車と呼ばれていてドアはもちろん手動。自分達で開け閉めをする。床は木材であった。今のような冷房はなく天井に備えつけられている扇風機がモーター音を響かせ頭上でブンブン回っていた。髪の毛はかき乱され時折にしか回ってこない風ではあったけれどまさしく一服の清涼剤と言うべきものだったね。そういえば学校の帰り一関の駅の改札口を入った構内だったか大船渡線のホームだったか売店があって、そこでアイスを買って発車時刻より早めに山汽車に乗り込み友達と食べたこともあったっけ。
山汽車。なんとたくましい響き。たくましい時代だったように思う。
あなたは高校卒業と同時に故郷を離れ、結婚を機に故郷に帰ってきた。嫁ぎ先は、「お里に帰らせていただきます。」とチャリを飛ばせば容易に帰れる距離のところで真滝駅のそば。その頃は出かける時はもっぱら車であったから、駅は電車の音を聞くだけの存在だったね。
再び電車を利用するようになったのは手術をして車の運転を止めたことがきっかけ。
今、山汽車はドラゴンレールと呼ばれワンマンとなりボタンを押してドアを開け閉めし、冷暖房も完備、快適である。
時折シカにぶつかったとか、雪の重みで竹が線路をふさいだとか、土砂崩れが起きたとかでハプニングは間々あるけどそれでもめげずに走り続けてくれている。
海へと続く大船渡線。内陸にいながらその言葉は浜との親しさを感じさせてくれる。その浜の人達が津波の被害に遭われたことは今もって悲しい。
今では近所に民泊施設があるので、昔ならとてもとても珍しかった外国の人が今やスーツケースをガラガラ鳴らしながら真滝駅に降り立つ光景を目にする。
時代と共にいろんな事が変化したね。電車の本数も変化し減便し不便な感じも否めないけど今も私の足となってくれていることに変わりはない。あの時の私からも今の私からもありがとうと伝えたい。めげずに走り続けておくれ。