思い出
・高校生当時の自分へ
あれから55年も経つが、俺は摺沢駅から一ノ関駅まで高校通学の足として国鉄大船渡線を3年間利用した。気仙沼駅始発の朝一番列車で、摺沢駅5時半頃の出発だったなあ。冬はまだ真っ暗の中列車に乗った。気仙沼駅からと思われる行商のおばさん達は、座席に大きな背負い籠を置き、隣に正座していた姿が印象的だった。一ノ関駅行きの各駅に停車するたびに、ひとり、ふたりと大きな重そうな籠を背負って、行商の元気なおばさん達が次々と降りて行く。
それとは反対に通勤・通学の乗客は、一ノ関駅に近づくにつれ、次第に多くなり列車は混雑状態で、地方のラッシュアワーだった。車はまだ普及していない時代なので、列車は重要な公共交通機関で何処に行くにも、列車かバスだった。
高校への3年間通学を成し得たのも、大船渡線があってこそで、青春時代を支えてくれたよな。一度も欠席せず通学できたのは、もちろん鉄道のおかげとあの頃の自分は良く頑張っていた。この大船渡線のおかげで一関の高校を卒業し就職、定年まで同じ職場に42年間勤めあげた事は、わが人生に悔いなしと言いたい。JR大船渡線よ「ありがとう!」これからも地域の足として走り続けて欲しいな~。