30代女性:東京都板橋区在住
高校生の頃の私へ。 元気にしていますか。 私は今、東京で社会人をしています。 早いもので、もうすぐ年齢があなたの2倍になりそうです。 東日本大震災で被災して、じぃちゃんばぁちゃんの家に住むことになり、行きは父の車で、帰りは緑色の汽車で気仙沼の学校に通っていましたね。 今思い返せば、あの頃が1番不便で...
20代男性:一関市在住
折壁駅から一ノ関駅まで片道1時間20分、往復3時間弱電車に揺られた登下校。朝の折壁駅は日の出前で薄暗く、部活終わりの夜は真っ暗で、3か月に1回早く帰るテスト期間に駅の周りを見ると、緑が生い茂っていたり、雪が積もっていたり、春夏秋冬季節を感じさせてくれました。中でもお気に入りは夏の夜の折壁駅。セミやコ...
90代男性:一関市在住
大船渡線の各駅毎にそれぞれの思い出があるが、特に忘れ難いのが折壁駅です。折壁は室根さんのつつじと名物白あんぱんですが、すでに五十年も経つが、普段の駅は通勤通学と数人の買い物客に時どき室根山登山者がある位であるのに、当日集団就職の臨時列車が気仙沼から折壁駅にさしかかった時、普段と異なりホームに一杯人だ...
90代女性:一関市在住
高校卒業して早72年…。戦後28年(1953年)の3月に卒業しました。その当時は修学旅行が無かったので卒業後35年ぶりに大船渡線で山田まで一泊二日の旅行をしました。東京・関西を始め全国から110人も参加しました。そしてお座敷列車を貸し切り列車に28号とヘッドマークをつけて発車しました。大船渡線で通学...
40代男性:一関市在住
40年前、私はまだ小学生で、毎日、陸中松川駅からバスで通学していました。 当時の駅は乗降客も多く、通学のための高校生の自転車が駐輪場に何十台も並び、列車の到着に合わせてバスやタクシー、迎えの車で広場がいっぱいになるなど、とても賑やかだった記憶があります。 駅の売店はいつも人で賑わい、駅前には寿司屋、...
70代男性:奥州市在住
大船渡線下船渡駅から盛岡駅まで、長い時間だった。中学を卒業し盛岡の高校の寮生活になったが、家が恋しかった。盛岡の学校に入ったことを、何度悔んだ事か。家に帰るには東北本線で一関まで下る(地図では下に下がる)、一関駅で大船渡線に乗り換える。記憶のある一ノ関駅は、駅弁やお土産の売り子さんが、肩から商品を乗...
50代男性:一関市在住
駅はいつも新しい世界への入口です。 映画を見るために大きな町へ。部活動のために少し自慢できる道具を買いに知らない町へ、就職試験のために一度も訪れたことがない街へ。 列車が駅を離れるときは幾ばくかの不安を感じ、けれど見たことがない景色に心躍らせ、戻ればどこかがほっとする。 年齢を重ね地元を離れても、そ...
60代女性:千葉県鎌ケ谷市在住
18歳の夏、母の生まれ育った大東町へ一人で行ったとき、初めて摺沢駅に降り立ちました。タクシーを待つ間、駅の待合室にいる人たちから「どこから来たの?」「どこさ行くの?」と尋ねられたので行く先の土地を伝えると「ああ、○○さんちの孫だねえ」と言いながら飴やらおせんべいやらを沢山いただきました。一人ぼっちで...
30代女性:一関市在住
今、小学5年生の私は一ノ関駅の切符の販売機の列に同級生と並んで自分の番が来るのをはドキドキしながら待っていましたね。人見知りで内気な自分だから人に買い方を教えてもらうことも聞けず、あせる気持ちが膨らんでパニックになったよね。とうとう自分の番が来てしまったね。人生で始めて電車に乗るから不安で切符の買い...
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