思い出
高校生の頃の私へ。 元気にしていますか。 私は今、東京で社会人をしています。 早いもので、もうすぐ年齢があなたの2倍になりそうです。
東日本大震災で被災して、じぃちゃんばぁちゃんの家に住むことになり、行きは父の車で、帰りは緑色の汽車で気仙沼の学校に通っていましたね。 今思い返せば、あの頃が1番不便で、それでも1番幸せだったなぁと感じています。
じいちゃんは無口であまり喋らない人でした。 一緒に住むまでは、ちょっと怖い人だ、とさえ思っていました。 学校帰りのお迎え担当はじいちゃんで、毎日車で駅まで迎えに来てくれました。 いつも「何を喋ろうか」と話の種を探していた気がします。 天気のことや、「今日はコンビニに大きいトラックが停まってるね」とか、本当に他愛のない話をしました。 じいちゃんもぽつりぽつりと、返してくれて、たまに昔の話もしてくれました。 孫の中で私だけ一緒に暮らしたので、「あのじいちゃんとこんなに話せるんだぞ」と優越感もありました。
ある日、私が汽車を乗り過ごしてしまったことがありました。 じいちゃんは携帯電話を持っていなかったので、連絡ができませんでした。 家に電話して、代わりにばぁちゃんが迎えに来てくれました。 じいちゃんは少し経ってから一人で帰ってきました。 迷惑をかけてしまった申し訳なさと、何と声をかけて謝れば良いか分からず、「じいちゃん、ごめん」とだけ言ったのですが、じいちゃんは顔色ひとつ変えずに「ん。」とだけ返してくれました。 無口だけど優しいじいちゃんでした。
大学に入ってから、帰省する度に迎えに来てくれたのは、ばぁちゃんでした。 時間ぴったりに来たら良いのに、いつも何十分も前から駅で待ってくれていたようでした。 「立派なトイレができたし、駐車場も広いから、いいの」なんて言っていました。 ばぁちゃんはお迎えの時はニコニコで、帰りの見送りはいつもちょっと寂しそうでした。 東京なんかに出ちゃって、ごめんね。 いっぱい愛情をくれて感謝しています。
今、帰省する際はあの駅で降りませんが、通り過ぎる時に駅の看板と、その後ろの室根山を見ると、「帰ってきたなぁ」と懐かしい気持ちでいっぱいになります。 もうじいちゃんとばぁちゃんが迎えに来てくれることはないけど、あの時の景色が心に残っています。ずっと覚えていたい思い出です。
あの頃の私に伝えたいことは、その時、その瞬間を大事にしてほしい、ということです。 いつだって生きていると理不尽で辛い思いもするけれど、支えてくれている人がどこかにいて、救われています。
大人の私も悩みや嫌なことは尽きませんが、大切にしたいことも沢山あって、それなりに楽しく生きています。当時は辛いこともあったけど、その時にしか感じられない想いがあった大事な時間でした。支えてくれた皆さんに感謝しています。 あの時の中にいるあなたのことが、ちょっと羨ましいです。私も、あなたに羨んでもらえるような日々になるように頑張ります。
お互いに、今の時間を大事に生きましょう。 30歳の私より。