思い出
大船渡線下船渡駅から盛岡駅まで、長い時間だった。中学を卒業し盛岡の高校の寮生活になったが、家が恋しかった。盛岡の学校に入ったことを、何度悔んだ事か。家に帰るには東北本線で一関まで下る(地図では下に下がる)、一関駅で大船渡線に乗り換える。記憶のある一ノ関駅は、駅弁やお土産の売り子さんが、肩から商品を乗せた大きなお盆を下げて、停車している列車に大きな声で呼びかけていた。大船渡に帰るには更に3〜4時間かかる。いつか働いてお金が有ったら駅弁を食べてみたい、いつもそう思いながら売り子の声を聞いていた。蒸気機関車の警笛を聞きながら、どこを走っているかわからないまま、それでも気仙沼、陸前高田を過ぎ細浦まで来ると、やっと帰ってきた、と心が躍る。細浦駅を過ぎトンネルを抜ける。窓を開けると海の匂いがする。潮の香り、波の動き、天気が良いと月の光に照らされた大船渡湾か見られる。帰ってきた〜っ、と実感する。当時準急と言う小駅飛ばしの列車があったが下船渡は飛ばされるので準急には乗れない。家まで歩いて帰ると、遅い時間でも親が、新しい風呂、暖かいご飯、私の好きな塩味の効いた魚、磯の香りの海藻が入った味噌汁を作って待っていてくれた。翌朝はゆっくり起きて、朝食を食べ、のんびりすると夕方までに寮に帰るには、帰り支度をしなければならない。そんな時間をかけても家に帰りたい。でもお金もかかるから何度も帰れない。
タコの口開けがある、と聞いた。土曜日の授業を家に帰るのに合わせて少し早く、早退したい、と職員室に行って申し出たら、厳しいN先生が担任との話に入り、タコの口開けのために勉強を休むとは何ごとか!と叱られた。科長が話に入り、タコの口開けのために早退するのは許可できないが、タコを捕って家業の手伝いをし、自分の学費にしたい、と言うなら、許可せざるを得ないか、と。そのとおりに言い直したら、許可が出た。早退し校舎の裏から寮に向かおうとしたら、副担任に見つかり、タコの口開けごときで勉強をおろそかにするとは何事か!と又叱られた。大船渡線で夜に帰り、翌朝早くからタコの口開けに父親と船に乗り、タコを釣り、家に帰って大釜で煮上げ、それを持って又大船渡線で一関、盛岡に帰り、月曜日の朝、職員室にタコを持っていった。ひどく叱られたN先生、副担任はじめ、先生方には、あのタコで皆で飲んで食べたタコは、今まで食べたどのタコより美味しかった!と卒業してからも会うたびに言われた。私が釣ったんです。私はただただ家に帰りたかっただけだった。大船渡線の盛、大船渡からの3時間、4時間は、上り、下りそれぞれのいろんな思いの込められた時間だったと思う。蒸気機関車の思い出と青春の思い出の大船渡線です。