思い出
40年前、私はまだ小学生で、毎日、陸中松川駅からバスで通学していました。
当時の駅は乗降客も多く、通学のための高校生の自転車が駐輪場に何十台も並び、列車の到着に合わせてバスやタクシー、迎えの車で広場がいっぱいになるなど、とても賑やかだった記憶があります。
駅の売店はいつも人で賑わい、駅前には寿司屋、旅館、自転車屋、魚屋、酒屋、駄菓子屋などがありました。
小学生だった私は、学校から帰ると毎日駅前の広場に集まり、仲間たちと遊ぶのが当たり前でした。「じゃあ、30分後に集合ね!」と約束すれば、必ず10人以上が集まり、ポコペンや缶けり、サッカーや野球など、暗くなるまで無邪気に遊び続けました。
ちょうどその頃、ファミリーコンピューターが登場したばかりでしたが、私たちにとっては、駅周辺を走り回ることのほうが何より楽しかったのです。 野球のファウルボールが大船渡線の列車に当たったり、サッカーボールが線路に飛んでいったり……今思えば、とんでもないことをしていたのかもしれませんが、駅員さんたちはそんな私たちを温かく見守ってくれていました。怒られた記憶はなく、むしろ優しいまなざしで接してくれていたように思います。
そして、陸中松川駅には、今でも忘れられない二つの出会いがあります。
ひとつ目は、駅の売店のおばちゃんです。私は小学生ながら、漫画を買ったり、お菓子を選んだりするたびに顔を合わせ、お話をするのが楽しみでした。 それから20年後、職場の先輩の家に遊びに行ったとき、そこでその売店のおばちゃんに再会したのです。なんと、先輩のお母さんだったのです。あの頃の懐かしい記憶が一気に蘇り、時の流れを強く実感しました。
ふたつ目は、あの頃駅前で一緒に遊んでいた仲間たちです。私たちも今や40代後半。かつて無邪気に走り回っていた私たちは、今でも朝からソフトボールをしたり、野球の試合に出たりして、変わらず仲良く過ごしています。 地域のみんなで集まり、かつて遊び場だった駅前の草刈りをしながら、懐かしい話に花を咲かせるのも、私たちにとって大切な時間です。心はあの頃と変わらず、今もなお駅の周りに残っているかのようです。
陸中松川駅での思い出は、今も私の中で色褪せることなく、私たちをつなぎ続けています。あの駅での出会い、そして仲間たちとの絆は、今も私の心を温かく包み込み、深く刻まれています。
大船渡線が開業100周年を迎えるにあたり、私は改めて、この場所で育まれたすべての出会いに、心から感謝の気持ちを伝えたいと思います。